カテゴリ:山の辺の道ポタリング( 21 )


2011年 05月 08日

古代ロマン山之辺ポタ21--石上神宮2 20110421

4月21日撮、続き

放し飼いの神鶏
若冲もこんなのをじっと眺めていたのかな?
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16時頃のJR・乗り換え2回で最寄り駅近くのJR駅前
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山之辺の道、砂利道、石道、ガタガタ道と押し歩きのポタリング32Km。
家に帰るときずいたのだが、舗装道とは違い、
道からの振動がモロに手首・肘・腰・背筋・首にきて、結構厳しい道だった。

by jose32 | 2011-05-08 07:54 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 08日

古代ロマン山之辺ポタ20--石上神宮1 20110421


4月21日撮

内山永久寺跡から山之辺の道を進むと石上神宮に出る

「石上神宮」(いそのかみじんぐう)は西暦250年ぐらいから物語が始まる神社で
武門の棟梁・物部氏の総氏神、大和朝廷の武器庫、神剣・布都御魂を祀っている神社だ。

祭神は
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
(布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊で葦原中国平定の際に使われた剣)
布留御霊大神(ふるのみたまのおおかみ)十種神宝に宿る神霊
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
(天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊でヤマタノオロチ退治の時にスサノオが使った剣) 
の三体、

元々はは神蘺(ひもろぎ)と呼ばれる瑞垣内の禁足地を祭祀の対象としてきた神社で
明治に神蘺の場所を掘り返すと環頭大刀柄頭、勾玉、管玉などが出土した。
現在は本殿も拝殿もあり、
特に百済から送られた西暦369年にあたる年号を記した七支刀は有名。

内山永久寺跡から来ると横辺りから入ることになる
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鏡池
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楼門(鎌倉時代末期)など
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by jose32 | 2011-05-08 07:49 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 07日

古代ロマン山之辺ポタ19--夜都伎神社と永久寺廃寺跡 20110421


4月21日撮

夜都伎神社(やとぎじんじゃ)は、春日神社とも呼ばれ、
奈良の春日大社と同じ四神を祀っている。
古くは水の神を祭ったといわれている
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萱葺きの屋根、神社建築としては珍しいそうだ。
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宮の池
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夜都伎神社を過ぎると登り坂の舗装道路になる。途中左に入り観光農園を通り越すが
この辺りは押して登ることになり、その後は下り勾配の小道で、下ると永久寺跡だ。

内山永久寺は、1115年頃(永久年間)創建され、
50以上の堂塔が並ぶ大寺院だったようだが、今は本堂の跡が池になっているだけだ。
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内山永久寺跡の「本堂池」
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まだ宗房と名乗っていた頃の芭蕉の句碑がある
 うち山や とざましらずの花ざかり  宗房
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また「萱(かや)ノ御所跡」と書かれた石碑は
後醍醐天皇が京都花山から吉野へ落ち延びる際に入寺し、「萱の御所」とされた。
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by jose32 | 2011-05-07 08:28 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 07日

古代ロマン山之辺ポタ18--波多子古墳と竹之内環濠集落 20110421


4月21日撮

大和古墳群の1つ「波多子塚古墳」

この辺りは奈良盆地有数の古墳密集地帯で、大和(おおやまと)古墳群と呼ばれ
その一つの「波多子塚(はたごつか)古墳」。
3世紀後半築造で、古墳時代初期の古墳と推定されている。
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こちらが大和古墳群
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道端では
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竹之内環濠集落
戦国時代、外敵の侵入を防ぐため、周囲に水濠を巡らせた集落だが
「環濠」の写真なし。

村落風景
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のどかな山間部乙木(おとぎ)集落を抜け、夜都伎神社へ
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by jose32 | 2011-05-07 08:19 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 06日

古代ロマン山之辺ポタ17-衾田陵- 20110421


4月21日撮

宮内庁認定では第26代継体天皇の皇后・手白香皇女(たしらかひめみこ)の
「衾田(ふすまだ)稜」とされているが、埴輪以前の特殊器台などが出土し、
6世紀前半の皇后陵でなく、3世紀後半、邪馬台国の女王・卑弥呼や台代(とよ)の墓
ではないかと云われ、手白香皇女の陵は、6世紀前半ころの西山塚古墳では・・と言われている。

燈篭山古墳の墓地を抜け、集落中ほどの五社神社から山へ入る
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西殿塚古墳の衾田陵(ふすまりょう)が見える
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by jose32 | 2011-05-06 08:24 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 06日

古代ロマン山之辺ポタ16--念仏寺と燈篭山古墳 20110421


4月21日撮

「灯籠山古墳」の角を右に曲がると行基が興し、
室町時代に地震で炎上、再建されたした念仏寺。
創建年代は不明。
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燈篭山古墳は奈良盆地でも最大級の郷墓で近在の村落の共同墓地になっている。
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念仏寺から燈篭山古墳を経て衾田陵へ

by jose32 | 2011-05-06 07:53 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 06日

古代ロマン山之辺ポタ15--長岳寺と御旅所坐神社 20110421


4月21日撮

長岳寺は平安の824年淳和天皇の時代、弘法大師が創建したと言われている。
創建時の面影を残す唯一の建物で、我が国最古の鐘楼門が有名だそうだ。

受付でもうすぐ年1回のゴマの儀式が始まりますよ、と声をかけてもらったが
時間の都合でパス、少々残念。

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山之辺の道を走り、坂を上がると中山大塚古墳である
時期は箸墓古墳と同じ頃か、またはそれ以前だという。

ここには古墳の前方部南端の古墳を少し削った所に
後円部から移した御座所坐神社(おたびしょにいますじんじゃ)
(大和稚宮)が置かれている。
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左が大和神社末社:歯定神社(はじょう)
注連縄をまいた石が3個据えられ、「歯の神様」である。
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大和神社摂社:御旅所坐神社
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御座所坐神社から見た、走ってきた道
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by jose32 | 2011-05-06 07:48 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 05日

古代ロマン山之辺ポタ14-崇神天皇御陵と櫛山古墳- 20110421


4月21日撮

第10代崇神(すじん)天皇を埋葬した崇神天皇陵とされているが、
実際の被葬者はわからないので「行燈山古墳」と呼ばれている。
「ハツクニシラススメラミコト」と呼ばれた神武・崇神や景行・ヤマトタケル
の時代になると、ミステリーロマンだ。
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大きな古墳があるのだから、古代の誰かの墓に間違いはないのだが?。
現在の所、崇神からが天皇家一代という見方が多いようだ。

又天皇の地位を明確に周知させ、四道の統治を目的に四道将軍として
孝元天皇皇子の大彦命(おおびこのみこと)を北陸道、
その子の武淳川別命(たけぬなかわけのみこと)を東海道、
開化天皇の孫丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)を丹波道、
孝霊天皇の皇子吉備津彦命(きびつひこのみこと)を西海道(山陽道)に
使わしたといわれるのも、この頃である。



櫛山古墳
古墳時代前期 の4世紀後半に築造された双方中円墳と呼ばれる珍しい形の古墳
同型は岡山・香川にもあるそうだ。埋葬者不明。
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by jose32 | 2011-05-05 09:43 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 05日

古代ロマン山の辺ポタ13--黒塚古墳と伊射奈岐神社 20110421


4月21日撮

景行天皇陵から国道169号線で崇神天皇陵へ向う
途中に文明というから1400年代でこの地では新しいといえる伊射奈岐神社がある
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次は黒塚古墳へ

邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に使者を派遣したとき銅鏡100枚を下賜されたという
あの有名な三角縁神獣鏡だけでも33面も出土したという黒塚古墳
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椿井大塚山古墳の32枚を超え全国1位、
石室で出土した画文帯神獣鏡の1枚を加えた青銅鏡は全国3位の出土。

ここには展示館もあるが、古墳へは自転車持込禁止だ

by jose32 | 2011-05-05 09:37 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 05日

古代ロマン山の辺ポタ12--神蘺ひもろぎと景行天皇陵 20110421 


4月21日撮

相撲神社から少し下り、見逃しやすい看板だが右に入り景行天皇陵へ向う途中に
「神蘺ひもろぎ」がある。

神蘺とは神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲った場所のことで
崇神天皇のころ、この場所で神霊を迎えたといわれている。

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ここを通り抜けると景行天皇陵と伝えられる渋谷向山古墳
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古事記や日本書紀に記される第12代天皇、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父
と言われているが、実在性には疑問が出されているそうだ。

by jose32 | 2011-05-05 09:34 | 山の辺の道ポタリング | Trackback | Comments(0)